主部:展示と行進

13時になり、まず水尾。さん,そして本日の主賓ともいえる
二人目の初対面、芳野さん。関西からのご参加。
7人全員がそろったところで、さっそく展示室にGo.
といきなり、海兵の格好をした
いかにも風格ある案内係のご老人が催し物の告知に現る。
順路に沿って開始。
時代・立地ともに船というものがそこまで身近でない対象である分、
少なからず視点を変えさせてくれた内容でした。
歴史的そして技術的な内容。
印象的なものとしては公社、模型船の流水抵抗。
実際に水中を泳がせて水流を観察するモデル。

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地下コーナーも回った後は階上へ。
カタカナ語をひらがなで表記した船名の模型。
その中に、ステータス欄の重量単位「トン」が
「噸」と「瓲」の二種類で書かれたものがありました。
単なる表記ゆれか、それとも意味上違いがあるとか?
次いでこの船の科学館そのものの歴史を展示したコーナー。
創立者笹川良一氏の経歴、そしてお台場の発展。
筆者の生まれる前、1970年代からすでにあったとは初耳。
同じフロアには来館者(おもに小学生)の書いたメッセージカード。
先の部屋にタイムカプセルがあったので、それとともに埋めるのかも。
3階には国内の船について。
航路や港の位置を記した日本地図にT.Kiyomizuさんと見入る。
何かと間違えたのか、富山の「伏木」がシール張りになっていたり
秋田の「本荘」が埼玉と同じ「本庄」と表記していたりと、見ていて飽きが来ない。
そうこうしているうちに他のメンバーとはぐれてしまう。
中屋上にはラジコン船を泳がせるプール。
その手前には図書室と、何と本物の海上通信事務室。
もどってみると無事合流できたので、ぼつぼつ1階へ戻る。

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企画展「守ろう日本の島々(しまじま)」のホール。
松本市安曇村の「島々(しましま)」ではない。
それはさておき、入口すぐにある竹島のコーナー。
文書史料を閲覧してみると、島根県当局によって竹島がおかれたのは
明治38年とある。町村制が施行された同22年よりも後。
帰ってから文献で調べてみると、隠岐諸島島嶼(とうしょ)町村制は同37年とあった。
ほかには北方領土4島。
行政上はこれらにも今なお自治体が存在する。すなわち
国後郡泊村・留夜別村色丹郡色丹村択捉郡留別村紗那郡紗那村蘂取郡蘂取村
Google Mapでも見られるのでしょうが、筆者は大学図書館
国土地理院の五万分の一地図をみたことがあります。
無理もないことですが実地調査は不可能なので、衛星写真による建物,道路,水面が記載されている。
外に出て休みがてら向かいの展示船をながめていると、
国旗やら何やらを携えた多数の集団。フジテレビ本社に向かってデモ行進を行うようだ。
ほどなく警官が先頭に立って発進していく。ことの成り行きはカミュさんから聞きました。
休憩も取れたところで、まず南極観測船「宗谷」に入る。
船内のハシゴは緊急避難用につき平常時は使用禁。
室内にはところどころ模型人形。
あと水道の蛇口が特徴的だった。
船の中だからか、それとも一昔前のスタイルなのか。
次はおとなりの洞爺丸。
入口の青函連絡船事故の展示を見ていたら単独行動になってしまった。
探し回りつつもそれなりに展示を見ておく。
地下にある話題になった青森駅のモデル。
テーブルに突っ伏す酔客もですが、立てかけた箱にりんごを並べて売る人が印象的。
屋上を探しても見つかりませんでしたが下りる階段ですれ違いに合流できました。
自分だけ地下のジオラマをもう一度見てから売店へ。
いかにも米国風な金属製の看板プレートや各種小冊子。
船名にちなんだ羊蹄山アイスでも買えばよかったかな。このあとのために。
再び洞爺丸の方へ戻り、その先の桟橋へ。